四門出遊という言葉があります。
釈迦がまだ太子の時、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりに見て、苦諦に対する目を開き、出家を決意したという伝説(wikipedia)
この伝説は、仏教の本を読めば、よく見かけるものなんですが、
養老孟司先生が
こんな事言われていました
『その当時のお城はお堀に囲まれ、そうとう大きな都市みたいなもので、その中では、人工物で埋め尽くされていた。お釈迦様が4つの門で見たものは、老病死などの自然でした』
お城(都市)の中は、老病死(自然)は排除され、綺麗な美化されたモノ(人工物)のみで構成されていたと
これは現代の都市にも似ている現象のように感じます。
産まれるのも死ぬのも病気も病院という隔離されコントロールされた場所へ移されています。
表面的に綺麗なものだけが、都市に残る、その他は排除、または隔離された場所へ
公園に行けば、ベンチに後付けの仕切りが付けられ、寝れないようにされてました。
ホームレスが寝れないようにらしいです。
これも都市の論理からの排除の一端であります。
とても綺麗な都市という暴力なのかもしれません。
ジョージオーウェルの1984みたいです。
最近、こんな事も知りました。
脳卒中になったシルボルトテイラー(脳外科医)の体験の中で
左脳の動きが止まり、右脳のみの世界に入ると
まるでブッダの悟りのようだったようです。
自他の区別はなくなり、言葉も出てこなく
世界が一つのエネルギーになり
安らかな感覚に包まれたそうです。
意識(自我)の世界が無くなった世界だと思いました。
意識から生まれた人工物で構成される都市(現実)の中で
人間は、区別し、区別され、悩み、苦しみ、そのうち感覚が麻痺し
身体を忘れ、都市の歯車として生きていく。
歯車になれない場合は、消去されていく
もうそろそろ現代人も
四門出遊に気づき
お城の外へ出る時なのかもしれないと
養老先生の話から、こんな事を思いました。
SHIN